ステイ先で学ぶ政歴シリーズ 国内編14〜山梨県 知られざる日本産ワインの歴史〜第2章

ステイ先で学ぶ政歴シリーズ 国内編14〜山梨県 知られざる日本産ワインの歴史〜第1章

山梨ワインの受難

前章で説明した通り、山梨ワインは酒石酸の生産のために海軍から全面的な支援を受け、大規模な事業拡大を成し遂げました。

しかし、このワインは酒石酸の精製を目的に作られたワインのため、作りが粗雑でとても美味しいとは呼べない代物でした。

実際にワインは大量に生産されたため、山梨ワインは酒保(軍事基地内で軍人・軍属が日用品や嗜好品を購入できる売店)を中心に販売され、多くの日本軍兵士に飲まれましたが、前述の通り不味いのと安価なため「安い悪酒」として広まってしまい、山梨のワイン醸造所の人々が夢見た「世界一のワイン」とは程遠い状態になってしまいました。

今も一定の国内評価である「国産ワインはあまり美味しくない」という認識の下地はこの頃に生まれています。

また、ワイン醸造所で軍需物資を生産していることは機密事項だったため、醸造所の経営者と従業員達には箝口令が敷かれ、他言することは禁じられました。

そうすると、事実を知らない近隣の住民は「戦争中であるのにも関わらず、嗜好品を大量生産して自分達だけ事業拡大して儲けている連中」と考えるようになり、非国民と罵られたり、従業員達もイジメを受けたといわれています。

更に山梨ワインの受難は続きます。

米軍は、どこからか日本の対潜水艦ソナーの原材料である酒石酸が山梨のワイン工場で精製されているという情報を掴み、日本本土に対する戦略爆撃を行う際の爆撃目標として設定したのでした。

そして1945年7月6日深夜、米軍が甲府に対して行なった大規模空襲、「甲府空襲」にて標的であったワイン工場も爆撃され、ワイン工場は跡形もなく焼失してしまいました。

復活の山梨ワイン、そして世界へ

ワイン工場が空襲で焼失し、全てを失ってしまいましたが、山の方にあったブドウ畑は空襲を受けず奇跡的に無傷で残っていました。

空襲の後1ヶ月ほどで日本は降伏し、日本と共に山梨ワインも一からのスタートとなりました。

戦後、日本人達が世界に追いつき、追い抜くために努力していった様に戦後の山梨ワイン醸造所に働く人々も同じく、「日本のワインを世界一のワインに」という熱い想いを胸に必死に努力した結果、現在では数々の世界的な賞を取るようになり、2021年には山梨県の「ロリアン勝沼甲州2019」というワインが世界最大で最も影響力があることで知られている「デキャンター・ワールド・ワイン・アワード(DWWA)」において最高賞であるプラチナ賞を受賞しました。日本のワインは名実ともに世界トップレベルと評価されています。

様々な試練が立ちふさがった山梨のワイン醸造。工場まで焼失したのにも関わらず奇跡の大復活を遂げて最終的に世界一のワインを作りあげました。山梨ワインはまさに夢と執念のワインだといえるでしょう。

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