ステイ先で学ぶ政歴シリーズ 海外編12〜南アフリカ 人種差別の果てに〜第1章

皆さん、サウボナ!(南アフリカ語でこんにちは)

O・R・タンボ空港がある、ヨハネスブルグは南アフリカ最大の都市ですが、同時に世界で1、2を争う、治安が悪い都市です。

ヨハネスブルグは、あまりの治安の悪さから、「10m進むごとに強盗に合う」「1日100人以上が殺人によって命を落としている」と噂されたりしています。

大体の危ないとされている国や地域は、世間一般で言われている事柄と違って、自身を危険にさらす行いをしない限り大した事は起きないので、私はどの国にいるときも町や村に繰り出して探検をしますが、ヨハネスブルグは流石の私もうろつきたくありません(笑)

現在では危険都市の代名詞となっているヨハネスブルグですが、実は治安が悪化したのは以外にも最近で、1990年代中頃のことです。

寧ろそれまでは、近くで発見された金山を求めて多くの資産家や労働者が移住し、活気にあふれた、美しい町でした。

ヨハネスブルグの治安悪化は、長年南アフリカで敷かれていた人種差別法、「アパルトヘイト」が1994年に南アフリカの英雄、ネルソン・マンデラによって撤廃されたことが原因です。

「人種差別を無くしたんだから、国はよくなったんじゃないの?」と多くの方は思われるでしょうが、長く続いた人種差別の歴史は、そう簡単に清算することはできなかったのです。

今回は、何故、南アフリカ、ヨハネスブルグが世界で最も危険な都市になってしまったのかを説明していきます。

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白人の土地、南アフリカ

南アフリカは300万年から15世紀まで多くのアフリカ系民族が狩猟採集をしながら暮らしている土地でした。

しかし、15世紀末にナルト、大航海時代に突入したヨーロッパ諸国から、バルトロメウ・ディアスやヴァスコ・ダ・ガマといった著名な探検家が次々と南アフリカの地に訪れることとなります。

当時ヨーロッパ諸国はアジア・インド方面に交易路の開拓のため進出していったため、南アフリカはヨーロッパとアジアの中継地点、補給基地としてオランダによって開発されていきました。

南アフリカの南端、ケープタウンの開発が進むにつれ、フランス人なども移民してくるようになり、やがて彼らは合流し、「ボーア人」と呼ばれる独自の集団を形成していきました。

ボーア人は、南アフリカを自身の故郷とし、先住民族のアフリカ系民族を奴隷と使役し、生活を営んでいきました。

1795年にナポレオンがオランダ本国を占領すると、イギリスはオランダの支配下にあった南アフリカを占領しました。

新しい支配者のイギリスの支配に反抗し、南アフリカを支配していたボーア人が二度に渡る反乱を起こすものの、イギリスに制圧され、南アフリカは正式にイギリスの植民地となりました。

当然この間、元々先住のアフリカ人は野生動物と同じ扱いで、たまに奴隷狩り(商用に現地人を拉致すること)する以外完全に無視されており、白人同士で南アフリカの土地の領有権を争っていました。

第2章へ続く・・・

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