ステイ先で学ぶ政歴シリーズ 海外編4〜アメリカ ジョン・F・ケネディ〜第1章

皆さん、Hello!

JAMBO STAFFの伊藤です!

今私は、ニューヨーク市にある、ジョン・F・ケネディ国際空港にいます!

ジョン・F・ケネディ国際空港と言えば、アメリカを代表する国際空港ですね!

空港の規模は成田国際空港の約2倍、一日の発着便数は、ゆうに1000を超え、滑走路はいつも絶えることなく飛行機が離発着を繰り返しており、その光景は非常にダイナミックなものです。

さて、ここジョン・F・ケネディ国際空港ですが、名前の由来となっている「ジョン・F・ケネディ」という人物はご存知でしょうか?

とても有名な人物なので、ご存知の方も多いと思いますが、実は、今の世界が滅びず存在しているのは彼のおかげでもあるのです。

今回はそんな「ジョン・F・ケネディ」の一生について、お話ししていきたいと思います。

ジョン・F・ケネディ誕生

ジョン・F・ケネディは、1917年5月29日にマサチューセッツ州ブルックラインで、実業家の名家であるケネディ家の次男として誕生しました。

彼の祖父は政治家であったため、病弱であったのにも関わらず、ジョンは幼少期から父ジョセフに将来政治家になるように英才教育を叩き込まれて育ちました。

体が弱く、周りの学友や自身の兄弟に差をつけられ、家庭では虐待まがいの教育が続いたこともあってか、学生時代には随分と荒れたようで、退学処分になりかけたこともありました。

因みにこの頃、父ジョセフは当時アメリカで施行されていた禁酒法を逆手に取り、ジンやスコッチウィスキーの輸入会社をフランクリン・ルーズベルト大統領の次男と共に立ち上げ、大儲けしました。

この時禁止されている酒をブラックマーケットで売る際に、ケネディ一族とマフィアとの繋がりが強まり、後のケネディ暗殺事件に繋がったと言われています。

ジョンの荒れた青年期と海軍入隊

ケネディは素行不良に加えて、学業成績も芳しくなく、いつも落第一歩手前でしたが、父の助力でハーバード大学に裏口入学をしました。

ハーバード大学に入学すると、一転して学業に励む・・・訳でもなく、女の子や悪友と共にゴルフやヨット遊びに呆けていました。

典型的な金持ちのドラ息子であったジョンは、遊びの傍、父親の知り合いのライターや編集者助力の元、本を執筆し、1938年にミュンヘンにて行われた会談にてドイツの要求したチェコスロヴァキアのズテーテン地方の割譲をイギリス首相のチェンバレンが認め、ドイツの増長を許し、かえって戦争勃発の危機を高めたと主張した「英国はなぜ眠ったか」を出版しました。

この本は8万部以上売れ、この功績を得たため、ハーバード大学を「優」の成績で卒業しました。

卒業後、ジョンは軍人の道を進み、またしても父の助力で最前線に出ることのない海軍本部付きになるための海軍士官養成コースに入り、海軍士官となりました。

士官となったジョンはスウェーデン人の女性と恋に落ちますが、FBIが彼女を新ドイツ派であると捜査対象になると、ジョンの父ジョセフは2人を引き離すために海軍長官に頼み込み、地上勤務から海上勤務に転勤させました。

そして、転勤先で「金持ちドラ息子」のジョンを一変させる出来事が起きるのです。

第2章に続く・・・

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