ステイ先で学ぶ政歴シリーズ 国内編13〜大阪府 脈々と伝わる豊臣の権威〜
皆さん、こんにちは!
JAMBO STAFFの伊藤です!
今回私は大阪国際空港(伊丹空港)に来ています!
いつ来ても、伊丹空港の空気は陽の気で満たされていますね!
大阪は江戸時代から「天下の台所」と呼ばれ、今日においても日本における商業活動の中心であります。(現在、実質的には経済の中心地は東京ですが、やっぱり大阪の方が圧倒的に活気があると思います!)
大阪は江戸時代から「天下の台所」と呼ばれていましたが、江戸時代になる前の戦国時代から、大阪は日本一の商業都市として栄えていました。
そして、大阪をそこまで成長させたのは皆さんご存知、豊臣秀吉です。
豊臣秀吉は天下統一目前で暗殺された織田信長の遺志を継いで、天下統一を成し遂げ、天皇の補佐人、関白にまで上り詰めた人物です。
秀吉が没し、徳川家康が叛旗を翻すまでは豊臣家の権威は絶対でした。
しかし、豊臣の権威は今も続いているというのです。
今回は、現在までも続いている豊臣の権威について説明していきます。
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豊臣家の滅亡と豊臣を継ぐ者たち
日本を平定し、絶対的な権力を持った豊臣秀吉は、1598年、死亡しました。
その後、豊臣五大老の1人だった徳川家康が大きな影響力を持つようになり、秀吉亡き後の豊臣政権を乗っ取っていきました。
徳川家康の台頭に危機感を募らせた石田三成ら、忠実な豊臣家臣は家康を討たんと1600年に関ヶ原の戦いを起こしましたが、三成ら豊臣派の西軍は敗北。以後の主導権は徳川家康に移ります。
その後の1614年、豊臣家と忠臣らが最後に挑んだ決戦、大坂の陣にも敗北し、豊臣家の人間は全員自害したことにより、本家以外の豊臣・羽柴家も他の苗字に改姓して豊臣は滅亡しました。
豊臣家は滅亡しましたが、豊臣の忠臣だった大名たちの中には、甘んじて徳川の江戸幕府体制を受け入れ、豊臣復活・徳川への復讐を狙っていた人物も多くいました。
中でも有名なのは、島津家(薩摩藩)と毛利家(長州藩)です。
皆さんは、この二つに聞き覚えはありませんか?
そう、この二つの勢力を中心として倒幕運動、明治維新が起きたのです。
実際のところ、明治維新は通説でいわれているような薩摩藩、長州藩が幕末に黒船の来航を受け、突発的に維新を起こしたという簡単な話ではなく、江戸幕府300年間、ずっと機会を伺い続けた計画的な革命・クーデターでした。
今現在も続く豊臣の権威
江戸幕府の打倒を果たした薩摩・長州は、天皇を頂点に据え、その下に議会政府があるという、西洋式(近代式)の立憲君主制国家を樹立しました。
ここで、「あれ?豊臣関係なくない?」と思うことでしょう。
では、日本国政府の紋章を見てみましょう・・・。
そう・・・豊臣の家紋と同じなのです!
実質的に日本の行政を司る、政府の紋章として豊臣と同じ桐紋が正式に使用されているのです。
事実、個人が所有する中で世界的に認められている数少ない公文書のうちの一つ、パスポートも、表紙部分こそ天皇家を象徴する菊花紋章(菊紋)ですが、開いたページ内にあるのは、日本国政府を表すこの桐紋です。
大臣が会見する会見場にも堂々と掲げてあるので、気になった人はニュースで映像を確認してみてください。
このような事実から、実は今は「豊臣体制」なのではないか?と考える人もいます。
戦国時代と現代。一見、時代が離れすぎていて、何も関係がないように見えますが、実は今も続いていることなのかもしれませんね。
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