ステイ先で学ぶ政歴シリーズ 国内編8〜鹿児島県 サツマイモの旅〜

皆さんこんにちは!

JAMBO STAFFの伊藤です!

今回、私は鹿児島県霧島市にある、鹿児島空港に来ています!

皆さんは鹿児島、といえば、何を連想しますか?

私は、お酒が大好きなので、やっぱり、さつま揚げと芋焼酎が真っ先に出てきます(笑)

芋焼酎の原材料は焼き芋やスイートポテトなどでよく知られている、サツマイモですが、このサツマイモ、どこから来たのかを知る人はあまりいません。

その名の通り、薩摩(鹿児島の旧国名)の芋なので、鹿児島原産だと思われがちなのですが、実はサツマイモの原産国はメキシコを中心とする中南米が原産地だといわれています。

中南米原産の芋が、いつ、どうやって日本に伝わったのか。

今回は、地球を一周したサツマイモの旅模様について説明していきたいと思います。

西洋人によるサツマイモの発見

サツマイモは、紀元前から中南米の人々に栽培され、主食の一つとして食されてきました。

15世紀に入ると、西洋ではスペインとポルトガルを中心に大航海時代に突入し、西洋の大国たちはアメリカ大陸を含む世界中に進出していきました。

やがて、スペイン、ポルトガルは中南米を植民地化していき、その過程で現地人が食していたサツマイモを、あの有名なコロンブスが初めてヨーロッパに持ち込みました。

ヨーロッパでは、サツマイモはその甘さと育てやすさから広く広がり、特にイギリスでは国民食と呼ばれるほど普及した結果、ペルー語で芋を意味する言葉、「Batata」を庶民たちが訛って発音し、「Patate」という名称になり、現在の「Potato」の語源となりました。

サツマイモ、アジアへ

ヨーロッパで人気を博したサツマイモですが、多くの市民に愛され、需要が高まっていく16世紀になると、更なるサツマイモの増産を求めて、西洋諸国は同時期に植民地化を行なっていた東南アジアに持ち込み、植民地人に栽培させるようになりました。

この背景には、サツマイモの栽培特性が関係していて、20°〜30°が適性栽培温度のため、ヨーロッパではあまり育たないといった事情もありました。

東南アジアで栽培されたサツマイモは中国の市場で取引されるようになり、やがてそれが、16世紀当時の東アジアの貿易拠点であった琉球王国に持ち込まれます。

サツマイモ、遂に鹿児島に上陸

日本が江戸時代に入った17世紀初頭、巨大な貿易国家だった琉球王国は、強大な兵力を持つ薩摩藩(鹿児島)に軍事侵攻され、事実上征服されます。

琉球を征服した薩摩藩は、琉球で栽培されていたサツマイモに目をつけます。

理由は、薩摩藩領内は他の日本の地域に比べて気温が高く、米作りにはあまり適していない土地のため、適性栽培温度が高く、栽培が簡単なためでした。

結果として、薩摩藩のサツマイモ導入は大成功し、薩摩藩の食料自給率は跳ね上がりました。

この時、入ってきたサツマイモを利用して製造し始めた焼酎が、芋焼酎です。

そして日本全国へ

18世紀、日本では度重なる天変地異によって飢饉が発生し、全国的に深刻な食糧不足に陥りました。

「暴れん坊将軍」で有名な時の将軍、徳川吉宗は、儒学者・蘭学者として知られていた青木昆陽に救荒作物として全国に広めるように命じ、青木は薩摩藩からサツマイモの苗を取り寄せ、上総と下総国(現在の千葉県)で試験栽培を行い、成功を収め、日本中にサツマイモが広がることとなりました。

現在、日本ではとてもポピュラーなサツマイモですが、何世紀も前に世界を一周して日本にやってきたということを知ると、歴史のロマンを感じ、より美味しく食べることができますね!

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