ステイ先で学ぶ政歴シリーズ 国内編1〜福岡〜第1章

こんにちは!

JAMBO STAFFの伊藤です!

今回は筑前国こと、福岡県に来ています!

羽田空港から飛行機に乗ること1時間半。山口県の関門海峡辺りで高度を落とし、福岡空港へと着陸しました。全体の時間で2時間弱ほどで到着しました。

さて、今回もまた仕事の合間に史跡巡りをしていきたいと思います!

博多湾の海沿いに出るとき、2メートルくらいの石でできた段差(壁)が連なっているのを見ることができます。

実はこの石垣、現在では消失している部分もありますが、かつて博多湾をぐるっと一周囲むように約750年前の鎌倉時代の人々が建設した「防塁」と呼ばれる要塞跡なのです。

一部消失しているとはいえ、750年間もそのままの形を現代まで留めているというのは、建設当時はかなり堅牢な要塞であった事は想像に難くありません。

では、この防塁は何のために建設されたのか?

それは、皆さんも歴史の授業で習ったであろう、「元寇」(文永の役・弘安の役)の時期に造られた物であり、当時の激戦を想起させる貴重な史跡です。

今回は、この元寇について詳しく説明していきたいと思います!

世界最強の大帝国、「元」!でも、何で島国日本を攻めようと思ったの?

元といえば、言わずと知れた、アジア、中東、そしてヨーロッパの一部までも支配した大帝国です。

元の勢いは凄まじく、中国を堕とし、次はインド、ヨーロッパ全土を征服せんという勢いでした。

しかし、ここまで強大な大帝国がどうして特に敵対の意思を見せていない極東の島国を攻めなければならなかったのか。

この理由をよく知らない人は結構多いことだと思います。

理由1:敵対する南宋を滅ぼすため

元が日本を攻めることとなった理由の1つに、中国南部で元に侵されず勢力を保っていた「南宋」という国を滅ぼすためだったということがあります。

当時の元は最強の軍事力を誇っていましたが、国土が広くなりすぎて、戦力が分散されてしまっている、という状況が生まれていました。

一方、南宋は歴代の中国王朝と同じく、人口と兵力が多く、戦費と士気さえ維持できれば、元に対抗することは難しくなく、いくら最強の軍事力を持つ元と言えども分散化された戦力で南宋と軍事対決を行うとなると泥沼の苦戦を強いられることが確実だったため、南宋の最大貿易相手国である日本を帝国側に取り組むか、征服することで南宋に対して経済的な攻勢を仕掛けようとしたのです。

そこで元は国書を日本へ送り、帝国に帰順するように求めますが日本側はこれを無視。

それでも、元は諦めず何度も使者を送りますが、日本はその全てを無視し続け、最終的に堪忍袋の緒が切れた元は日本への武力侵攻を決断しました。

理由2:冒険家の虚言に皇帝が騙されたから

皆さんはマルコ・ポーロという人物をご存知でしょうか?

マルコ・ポーロはヴェネツィアの商人であり、冒険家で、各地を旅しながら商売をするという人物でした。

日本の英名の「ジャパン」の語源となった「ジパング」という言葉を初めて記録に残る形で口にした人物でもあります。

マルコが見聞した旅行記、「東方見聞録」には、「ジパングは莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできており、財宝に溢れている。」と記されています。

しかし、この話は中国で中国人から聞いた単なる噂話で、マルコ自身は一回も日本に訪れた事はありませんでした。

マルコは元に滞在中に元の皇帝、クビライと謁見することになるのですが、マルコはこの「黄金の国ジパング」の話をクビライにしてしまったと言います。

この話を聞いたクビライは、日本に興味を持つようになり、日本を我が物にしたいという気を持ったといいます。

これらのことが原因で、遂に日本に元軍が押し寄せてくるのですがその話はまた2章で!

第2章へ続く・・・

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