ステイ先で学ぶ政歴シリーズ 海外編3〜カンボジア〜第2章

キリング・フィールド

クメール・ルージュが首都プノンペンを陥落させた翌年の1976年、「民主カンプチア」を建国を発表します。

クメール・ルージュの指導者のポル・ポトは、自身が完全にカンボジアを掌握すると、今まで良好な関係を保ってきた国王とその一族を、用済みと言わんばかりに全員拘束して幽閉。シハヌーク本人は殺されなかったものの、多くの王族は殺されてしまいました。

ポル・ポトは、人が全て都市文明を捨てて、農業を初めて自給自足の生活になれば、真の意味で平等になれるという「原始共産主義」という思想の元、プノンペンなどの都市部に住んでいた人々から全ての財産・身分を剥奪し、強制的に農村へ移住させて農作業や建築作業などを強いました。

この過程で、学校、病院、工場、銀行、寺院といった施設全てが閉鎖され、貨幣制度は廃止され、ここでカンボジアの近代文明は消滅しました。

この、強制移住させられた中には、在カンボジア外国人も含まれており、その中には日本人も含まれていて、未だ消息不明の方もいらっしゃいます。

さて、農村部に強制移住させられた人々ですが、今まで農業をやったことが無いという人間も大勢いて、突然農業をやれと言われても殆どの人間は上手く作業することができず、このような人々は「怠け者の堕落者」として処刑されました。

ポル・ポトが主導する虐殺はどんどんエスカレートしていき、「反逆しそう」という理由だけで殺されたり、本を読める、英語・フランス語が話せる教養のある者はみんな殺されていきました。

しかも、メガネを掛けているだけでも、「インテリっぽいから」という理由で殺され、病人や老人は「無駄飯喰らいだから」という理由で殺されたり、容姿がいい男女は「人より容姿がいいのは不公平」とされ殺されたりと、もう滅茶苦茶な状態になっていきました。

もちろん、こんな事をしていたら、人口が減っていきます。

そこでポル・ポトが目をつけたのは、子供たち。

ポル・ポトは、「大人は近代教育を受け、資本主義社会で生活してきたので堕落しているが、子供はそうした悪影響に晒されてないので純粋である」という考えのもと、子供たちを親から引き離し、自分たちの思想で洗脳すると、大人を管理する役割を当てました。

結果、堕落した大人より自分たちの方が優れているという考えを持った子供たちが大人を支配するようになり、子供たちが実の親を含む大人をリンチして殺害するという事態が広がっていきました。

この頃になると、軍隊も殆どが子供で構成されていたので、中央の統制が効かなくなっており、隣国のベトナム領内に侵入しては住民を虐殺するという事件を多く起こすようになります。

そして、1978年に発生した「バチュク村の虐殺事件」で遂にベトナムの堪忍袋の尾が切れ、カンボジアに軍事侵攻しました。

10年以上も米軍と戦い続けてきた精鋭ベトナム軍と、子供ばかりのカンボジア軍では戦力差が圧倒的で、あっという間にカンボジア全土はベトナムに制圧され、今まで鎖国状態だったカンボジアの凄惨な状況を世界中の人間が知ることとなりました。

ポル・ポトが実権を握った1975年から1979年までのたった4年間で300万人以上が虐殺されました。

この数は、カンボジア全人口の三分の一以上という数ですから、いかに異常な数だったか想像できるはずです。

この暗黒時代の爪痕は未だにカンボジア社会に根強く残っていて、教育、生活、経済全ての分野で他の東南アジアの国々の中でも非常に立ち遅れてしまっています。

今、まさにカンボジアは40年経ってようやく「発展」にシフトすることができました。

今後のカンボジアの未来に注目していきたいところです。

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