ステイ先で学ぶ政歴シリーズ 海外編3〜カンボジア〜第1章

スオスダイ!(カンボジア語でこんにちは)

JAMBO STAFFの伊藤です!

現在私は、カンボジアのプノンペン国際空港にいます!

プノンペン国際空港に着陸する時に見えたのですが、どうやらプノンペンの郊外に新しい飛行場を建設しているみたいですね。

というのも、現在のプノンペン国際空港の営業権が2040年に切れるということと、観光客をはじめとする、カンボジアへの渡航者の急増や、アジア貿易のハブ空港にしたいという中国の計画のこともあり、急ピッチで建設されています。

完成の暁には、世界最大規模の空港になるそうです。

このように、観光大国とアジアの貿易の中心地となりつつあるカンボジアですが、1979年まで極左過激派の(クメール・ルージュ)ポル・ポトが政権を握り、虐殺の嵐が吹き荒れ、現在でもその傷は癒えていないという悲しい歴史があることは知っていますか?

今回のステイ先で学ぶ政歴シリーズは、僅か4年ほどの支配だったのにも関わらず、カンボジアという国を壊滅に追いやったクメール・ルージュ占領下のカンボジアについて説明して行きたいと思います。

クメール・ルージュが政権を握るまで

カンボジアは、アンコールワット遺跡群がある通り、9世紀にはクメール王朝が成立し、中世東南アジアでは非常に栄えていたと共に、大きな軍事力も持っていた大国の1つでした。

しかし、他のアジアの国々と同じく16世紀に入る頃には次々と西洋の宣教師や商人が入り込み、徐々に国力を削がれていき、18世紀にはフランスの植民地になってしまいました。

カンボジアは同じくフランスの植民地となった隣のラオス、ベトナムと統合され、インドシナと呼ばれるようになりました。

時は流れて1940年。第二次世界大戦が勃発し、フランス本国はドイツに破れたことにより植民地政府は日本に軍事基地の使用権を与えましたが、1945年3月、日本軍が植民地政府に攻撃を仕掛け、植民地政府を完全に滅ぼし、インドシナ各国を独立させました。

間も無く日本は敗北し、日本が独立させた国々は無効とされ、フランスは再び植民地政府を築こうとしますが、植民地政府を失い、統治能力が機能しなくなっていることに加え、一度日本の手によってだったとはいえ、独立を経験したインドシナ各国は、フランスによる再支配を望まず、上陸してきたフランス軍に攻撃を仕掛け、独立戦争を起こしました。

結果、インドシナ各国は南ベトナムを除く国々が独立しました。

その後、カンボジアでは王政が敷かれましたが、時の国王、ロノドム・シハヌークは共産主義に理解のある人物で、国内の共産主義勢力と協力関係を結びます。

この組織が、後に大量虐殺を引き起こす、ポル・ポト率いるクメール・ルージュで、王に気に入られていることをいいことに勢力を拡大していきます。

1965年、ベトナム戦争にアメリカが参戦し、戦闘が激化してくると、カンボジアの将軍、ロン・ノルは国王は共産主義シンパだとしてクーデターを決行し、それに反対したクメール・ルージュとの間でカンボジア内戦が勃発します。

内戦は、米軍も介入し激化しますが、1973年、米軍がベトナムから撤退すると、同時にカンボジアからも撤退。後ろ盾を失ったロン・ノル政権は崩壊し、1975年、クメール・ルージュが政権を掌握します。

これが、地獄の始まりなのでした。

第二章へ続く・・・

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