日本の怪談2 長崎編〜原城 キリシタンの怨念〜

みなさん、こんにちは!

今回は日本の怖い話シリーズ第二弾をお届けします!

今回の舞台は、長崎県南島原市にある、原城です。

原城には、長崎空港から出ている島鉄バスを数回乗り継いで約3時間で行く頃ができます。

原城は、現在、「原城跡」として天守閣などは存在しませんが戦国時代の石垣がそのまま残っており、重要な歴史遺産として現代に残っています。

また、原城跡周辺は公園となっており、日中は軽く運動する人、ピクニックをする人で賑わっています。

しかし、原城の情景は夜になると途端に不気味な空気に包まれ、誰が行っても不穏な気配を感じるであろう場所に変化します。

これには、原城にまつわるある歴史的事件が影響していると言われており、地元の人は夜の原城周辺には絶対に立ち入らないといいます。

島原の乱

原城は、歴史の授業でもおなじみの「島原の乱」の舞台となりました。

島原の乱とは、1630年代に行われた江戸幕府と島原藩が進めるキリスト教徒(キリシタン)の迫害政策に加え、飢饉の発生を契機に発生したキリスト教系農民を中心に発生した反乱です。

このような農民の反乱は、通常は一揆と呼ばれるものですが、多くのキリシタンの士族も多数合流し、その数は37000とも言われ、総大将を元士族の天草四郎(益田四郎時貞)が受け、一揆の集団というよりは洗練された軍勢そのものでした。

なぜ、多くのキリシタンの士族や元士族が一揆に加わったかというと、関ヶ原の戦いの後、徳川家康が江戸幕府を開くと、各藩の軍事力を削いで反乱を防ぐため、各大名に対して軍縮を求めます。

すると、各藩は、自分が抱えている士族から無能な者、お上の以降にそぐわない者からクビにしていきました。

所謂、大量解雇ですね。

この時、幕府が迫害をしていたキリシタンの士族は真っ先にクビになりました。

また、関ヶ原の戦いや大坂の陣に豊臣方についた大名は大名家を廃絶され、その大名に仕えていた士族たちも丸々職と身分を失いました。

彼らは自達が生きていくために、「百姓浪人」といって、武士の身分を捨てて、農民や漁民、町人や商人になって生活するようになりました。

しかし、彼らはその理不尽な転落に恨みを募らせていたので、農民反乱が起きた反動で多くのキリシタン士族を含む旧士族が反乱に合流し、結果的に大軍となった背景がありました。

天草率いる軍勢は、各地から集まる反乱部隊を吸収していきながら、廃城となっていた原城に籠城。万全の防衛体制を整え、キリスト教布教の大元、ポルトガルからの増援を待つ体制に入りました。

幕府は、当初は農民の反乱とみて近場の藩で討伐軍を編成して原城鎮圧へ向かわせましたが、原城の強固な造りと訓練の行き届いた反乱軍の反撃のために敗退しました。

多くの旧士族が合流していることと、ポルトガルの参戦を待っていることを知った幕府は事態を重く見て、大部隊を編成し、原城に進撃し、多くの死傷者を出してほぼゴリ押しで幕府軍はなんとか原城を制圧しました。

原城内大虐殺

原城には、旧士族の戦闘員だけでなく、多くのキリシタンの農民達もいました。

原城を制圧した幕府軍は、女子供・民間人含む37000人を全員、原城で処刑しました。

中には生きたまま火を付けられた者や、縛られて生き埋めにされた者までいるといいます。

そんな彼らの亡霊が、夜の原城には彷徨っているそうです・・・

原城は「行けば必ず心霊現象が起きるランキング」で常に上位なのだとか。

今では原城は心霊スポットとしてすっかり定着してしまっていますが、原城跡の中には慰霊碑もあるので、もし訪れる機会があったら、無念で亡くなった方々を想い、冥福を祈るべきですね。

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