日本の怪談1 東京編〜羽田の鳥居〜

みなさん、こんにちは!

JAMBO STAFFの伊藤です!

今日、私は、PJ SFA羽田空港校におります!

冬が近づき、寒くなってまいりました。

新型コロナウイルスの感染拡大が再び始まっています。

感染をこれ以上広げないためにも不要不急の外出を控え、耐えること、正に今が正念場。

どうしたら、皆さんが外に出なくなるか・・・。と考えまして、私あることを思いつきました。

「怖い話をして、みんなが寒くなっちゃえば、わざわざ寒い外に出て行かなくなのでは?」

そこで、今日から数日間、季節外れですが、皆様の身体をひんや〜りと冷やす、身の毛もよだつ怖〜い話をお届けしようと思います!

滑走路近くにある鳥居?

パイロット志望のみなさんは、羽田空港滑走路の先、海老取川、多摩川が交わる川縁に、赤い巨大な鳥居がある事を知っていますか?

その場所に神社があるわけでもないのに、真っ赤な巨大な鳥居がそびえ立っている姿は、鳥居を見る誰もが不思議に思い、また不気味に感じる事でしょう。

今回はこの鳥居にまつわる、恐ろしい話をひとつ。

呪いの鳥居伝説

そもそも、羽田は、江戸時代に幕府の新田開拓事業により、埋め立てられてできた新しい土地です。

もちろん、江戸時代には空港は無く、開拓作業の作業員や、新田農作業者が住んでいました。

埋立地の新田なため、塩害や水害によく悩まされ、その被害から開拓地を守ってもらうために伊勢神宮から豊受姫命という神様を歓請し、穴守稲荷神社が健立されました。

この神社は、地元の開拓民のみならず、江戸時代当時、性病に苦しんでいた遊女達からも自分たちの身体を守る御利益があるとして、大いに信仰を集めました。

明治時代に入ると、羽田で温泉が発見され、また潮干狩りもできる行楽地となっていき、穴守稲荷神社を中心に大いに賑わうようになりました。

また、行楽地の発展と共に民間の航空需要の高まりを受け、民間用の空港が羽田に建設され、これが羽田空港の基礎となりました。

しかし、1945年、日本が第二次世界大戦に敗北し、GHQが進駐してくると、米軍は、軍事基地拡張のために羽田一帯を強制的に接収し、反対する住民や、空港職員をジープで追い回したり、銃で威嚇して追い出し、ブルドーザーで住民の家々を潰して更地にし、軍事用空港拡張工事を行いました。

この時、穴守稲荷神社も強制的に解体されることになったのですが、ここで事件が起きます。

社殿などの神社の施設を解体中に体調不良を訴える者が続出し、鳥居を撤去しようとロープで引き倒そうとするとロープが切れ、作業員が大怪我をしたり、工事責任者が病死したりと不幸が立て続けに起きることとなりました。

多くの犠牲者を出しながら、米軍はなんとか社殿の解体に成功しましたが、鳥居を撤去しようとする度に大きな事故や事件が起きるために、流石に怖くなり、そのまま放置することに。

そして、空港のど真ん中にそびえ立つ巨大な鳥居というなんとも不気味な光景が出来上がりました。

しかし、戦後しばらくし、米軍から日本に空港の管轄を返還され、航空需要が高まった1990年代、空港全体の開発が急務となり、当時の空港駐車場の真ん中にそびえる鳥居をどうしても移転しなければならなくなってきました。

そこで、すでに移転が行われていた稲荷橋駅近くにある、現在の穴守稲荷神社に鳥居を移す(還そう)という案が立ち上がりましたが、またしても急病人が続発。

移転は許されないかと関係者が諦めていた時、旧羽田住民らが、「自分たちが理不尽に追い出された歴史遺産を残すために飛行機の発着に影響の無い、羽田空港の土地内に移転してはどうか?」と提案し、この方針で進めたところ、病人達は回復、その後も病人や怪我人もなく、現在の位置に移転されることになりました。

日本人だけではなく、世界中の多くの人々が利用する羽田空港。

皆、何気なく利用していますが、現在に至るまでには色んな歴史があったんだよ、と神様が教えてくれているのかもしれませんね。

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