ステイ先で学ぶ政歴シリーズ 国内編4〜山口 下関のフグ〜

みなさん、こんにちは!

JAMBO STAFFの伊藤です!

去年の今頃は山口県下関に来ていました!

下関までは山口宇部空港からバスで約80分で到着します。

下関といえば、やっぱりフグ!

1ヶ月前から下関の老舗、春帆楼を予約・・・!

最高の贅沢を満喫しました!

コロナ禍が沈静化したら、また行きたいものです。

日本人とフグの付き合いは長い

皆さん、フグには毒があるということは知っていると思います。

古代中国の文献には「食べたら死ぬ魚」と書かれており、現在でもわざわざ毒があるフグを食べる日本人は世界中の人々にとって物珍しい存在です。

古代中国人までも、危険な食材だと言っているのに、なぜ日本人は食べようとしたのか、それは正直分かっていません。

ただ、日本人とフグの付き合いは長く、フグは2000年以上前の縄文時代に作られた貝塚からフグの骨が発見されており、相当昔から愛されていたことは間違い無いようです。

しかし、千葉県市川市の縄文時代の住居跡には、5人の家族全員が急病で同時に死んだような状態で骨が発見されており、その傍らにフグの骨があったことから、家族全員が中毒死したと推測されており、多くの人々は、大きなリスクを冒しながらも食していたようです。

フグが合法的に食べられるようになったのは最近

古代に始まったフグを食す慣習ですが、食べる度に多くの犠牲者を出し、殆どの地域は自然と食べることをやめていきましたが、下関など一部地域では粘り強く食べ続け、長い年月をかけて、食べてよい部分と食べてはいけない部分を判別し、可食部を上手いこと捌けるようになっていきました。

しかし、時は1592年戦国時代。

当時、豊臣秀吉の指令のもと、中国の明朝打倒の足掛かりとして朝鮮への出兵が行われていました。

日本列島から朝鮮半島までは九州に集結し、海路で渡るのですが、本州から九州に行くための通り道として下関はありました。

秀吉のもとに不思議な報告が届きます。

各大名が兵力を移動中、なぜか下関で多くの死者が出ているというのです。

これを問題視した秀吉は、すぐに原因を調査させ、兵士の大量死の原因はフグを食べたことによるものだと分かりました。

多くの一般兵は、フグを提供しているようなお店には行けず、自分で釣るか、市場で買ったのを処理せず食べるしかなかったので、当然ですね。

事情を知った秀吉は、フグ食禁止令を出し、フグを食べることも提供することも禁じました。

この禁止令は秀吉没後、徳川家康が天下を取った江戸幕府体制でも引き継がれ、以降、約300年間、食べるのが禁止されました。

しかし、庶民の間では細々と調理法は伝承され、食されていたといいます。

フグ食復活の立役者は総理大臣

時は流れ、明治時代。

明治時代に至っても、フグ食は法律で禁止されていました。

しかし、1888年。初代総理大臣、伊藤博文が上記の春帆楼に訪れた際、たまたま天候不良で伊藤の好物であったイワシが入荷せず、春帆楼の女将は「手打ち覚悟」でフグを出しました。

すると、伊藤はフグの美味しさに感動し、フグ食の禁止を解除することを誓ったそうです。

因みに、ここ春帆楼ですが、日清戦争の講和条約、下関条約が結ばれた場所でも有名で、一説には敵国とはいえ、清の代表団ということで日本の国威に恥じないようなもてなしをしなければならないということで、伊藤博文が春帆楼でフグを食べて感動したことを思い出し、会談場所を春帆楼に設定したといわれています。

下関条約時の晩餐会のメニューはよく分かっておりませんが、もしかしたら、下関のフグが振舞われたかもしれませんね。

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