ステイ先で学ぶ政歴シリーズ 国内編5〜長野県 安曇族の謎〜
皆さん、こんにちは!
JAMBOスタッフの伊藤です。
私は「蔓防」が出る前、長野県安曇野市を訪れていました!
長野県の空の玄関、松本空港からシャトルバスで約1時間の場所にある安曇野はNHKの連続テレビ小説「おひさま」の舞台にもなった、自然豊かな長野県を代表する観光地です。
安曇野の名産といえば、蕎麦とワサビ!
正に山国、長野らしい名産品ですね!
しかし、山に囲まれた安曇野ですが、実は面白い歴史的謎があるのです。
今回は、その謎を追っていきましょう。
山なのに船?
皆さんもご存知の通り、長野県は海なし県です。
しかし、ここ安曇野にある穂高神社のお祭りでは、「御船祭り」という祭事が行われ、巨大な船の山車が何隻も登場するという異様な光景を目にすることができます。
穂高神社の創建年について詳しいことは分かっていませんが、少なくとも西暦800年には存在が確認されているので、最近始まったものではなく古代から受け継がれていることが分かります。
安曇野郷土史によると、安曇野の人々は古代、「安曇族」という、北九州・朝鮮半島に居住していた海の民だったという。
しかし、海とは縁もゆかりもなさそうな安曇野に何故、海洋民族である安曇族がやってきたのでしょうか?
安曇族の歴史
安曇族の発生場所はよく分かっていませんが、元々は古代中国沿岸部に「越」と呼ばれる国家があり、そこに居住していた「百越」という民族が「越」が滅びた際に朝鮮半島・九州北部に船を用いて移住してきた説が有力だとされています。
彼らは陸上に定住はせず、船の上で生活をしていたといわれています。
今でいう、ボートピープルですね。
穂高神社の「御船祭り」から分かるように、北九州と朝鮮半島に移住してきた彼らは、安曇族(海の民)と呼ばれるようになり、船を用いて物品を輸送する貿易業や周辺国が有事の際には海軍として戦う傭兵業をして生計を立てていました。
そんな彼らですが、500年代に朝鮮で起きていた戦乱にヤマト政権が友好国を支援するために介入しようとしたところ、ヤマト政権と敵対していた朝鮮の新羅と独自の外交ルートを持っている磐井氏が、新羅に要請されて朝鮮出兵を妨害するために起こした乱、「磐井の乱」において、安曇族は磐井側についてヤマト政権と戦いました。
まもなく磐井の乱がヤマト政権によって鎮圧されましたが、磐井側についていた安曇族は拠点としていた北九州にいられなくなり、新天地を求めて各地に散らばる事となりました。
安曇族の名残が残っている地域としては、安曇野以外に愛知県「渥美半島」、滋賀県「安曇側」、静岡県「熱海」が挙げられ、安曇族は散り散りに移住していったといいます。
長野県に移住したグループですが、当時、交易で非常に大きな利益を産んでいた翡翠を求め、翡翠の一大産地である新潟県糸魚川市にある、姫川にやってきたといわれています。
やがて安曇族は姫川を遡っていき、長野県大町市付近に到達し、当時大町市付近を統治していた仁科氏に居住を許され、大町市より南の位置に定住し、今に至るといいます。
今でこそ、安曇野の人々は蕎麦とワサビをはじめとする農耕を中心とした山に密着した生活をしていますが、先祖が海の民であったことの誇りは今も失わず、現代においても親から子へ語り継がれ、御船祭りという文化を安曇野の人々皆で守り続けています。
歴史の教科書にはまず登場する事はない郷土史ですが、その土地の成り立ちの経緯を調べてみると、意外なことが分かったりします。
歴史を学ぶことの楽しさはまさにこれに尽きますね!
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