ステイ先で学ぶ政歴シリーズ 海外編2〜ハワイ〜第1章

アロハ!(ハワイの言葉でこんにちは)

JAMBO STAFFの伊藤です!

今回やってきたのはみんなの憧れ、ハワイ!

成田空港からおよそ8時間。機内サービスのエンターテイメントプログラムで最新映画を数本見ている間にホノルル国際空港に到着。あっという間のフライトでした。

入国審査に向かうために空港内に入ると、よくハワイで首飾りなどに使用される花、ピカケの花(和名:マツリカ)のような甘い香りが漂う。あぁ、ハワイに来たんだな、と改めて感じる瞬間ですね!

ホノルル国際空港の正式名称は日本人!?

皆さんは、ホノルル国際空港の正式名称が2017年から変更になっていることをご存知でしょうか?

現在、ホノルル国際空港の正式名称は「ダニエル・K・イノウエ国際空港」といい、日系人の方の名前なのです。

日本ではあまり知られていないこの方、実はアメリカではとても有名な方で、英雄でもあります。

ダニエル・K・イノウエは1924年に日系移民の両親の元で日系二世としてハワイ準州、ホノルルで生を受けました。

イノウエは、ホノルルで青年期を過ごし、ハワイ大学マノア校に進学し、医学の道を目指すための勉強に励んでいました。

しかし、ハワイ大学在学中の1941年に日本がハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカが第二次世界大戦に参戦することとなりました。

イノウエは、アメリカ人としての忠誠を示すためにアメリカ軍に志願。アメリカ陸軍の日系人部隊である第442連隊戦闘団に配属され、ヨーロッパの最前線でドイツ軍・イタリア軍相手に戦い続けました。

1945年4月、イタリアにおけるドイツ軍との戦闘で、仲間を守るために負傷、右腕の切断という大怪我を負ってしまいます。

その後、自身の身を呈して仲間を守ったという功績が認められ、アメリカ陸軍から勲章を授与され、英雄と讃えられました。

戦後、ハワイ大学に復学しましたが、腕を失ったため、医学の道を諦め、政治学を専攻し、その後は政界を目指すようになります。

1954年にハワイ議会の議員に当選、1959年には民主党から連邦下院議員に立候補し、アメリカ初の日系人議員となり、1963年には上院議員にまで登り詰めます。

議員としては、国防委員会にて役員を務め、アメリカの安全保障体制構築に貢献した他、全米日系人博物館の理事長を務め、アメリカにおける日系人社会の結束強化と日系人の社会進出の手助けをし続けました。

2000年代に入り、体調を崩した後も、引き続きアメリカと日系人社会のために公務を続けましたが、2012年12月、ワシントンD.C.の病院にて逝去しました。

ダニエル・K・イノウエ最後の言葉は「アロハ」だったと言います。きっと、ワシントンD.C.にいながらも、イノウエが最期に見た光景は、自分が生まれ育ったハワイの美しい自然だったのでしょう。

因みに、イノウエの遺体を納めた棺は、アメリカ合衆国議会議事堂中央にある大広間に安置されました。大広間に遺体を安置されるのはリンカーン、ケネディなどの一部の大統領や極少数の議員に限られており、イノウエは32人目でアジア系の人物で初めて大広間に遺体が安置された人物となりました。

そんなイノウエの功績が讃えられ、2017年、彼の生まれ故郷であるハワイ州の玄関口、ホノルル国際空港の正式名称が「ダニエル・K・イノウエ国際空港」と変更されたのです。

日本では2017年にホノルル国際空港の正式名称が「ダニエル・K・イノウエ国際空港」に変更されたと報道された時、日本人の多くは「日系人何だろうけど、誰?」と思ったはずです。

イノウエは、日本の教科書には一切出てきませんが、パイロットを目指す皆さまは必ず知っておきたい歴史ですね。

第2章に続く

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