ステイ先で学ぶ政歴シリーズ 海外編2〜ハワイ〜第2章

日本とハワイの関係はハワイがアメリカになる前から!?知られざる日本とハワイの関係

第1章で説明した出来事で、日本とハワイは歴史的にも深い結びつきがあることは皆さんよくお分かりになったと思います。

しかし、ハワイがアメリカの準州になる更に前、ハワイが、「ハワイ王国」という独立国家だった時から、日本と深すぎる関わりがありました。

時は1880年。当時、ハワイはカラカウア王が君臨する、独立した君主制国でした。

しかし、1820年代からアメリカから多くの移民がハワイに入植し、サトウキビ栽培や輸出などによって経済力を高め、アメリカ人たちがハワイの政治にも介入してくるようになりました。

その現状に危機感を抱いたカラカウア王は1881年、明治維新が起きてから間もない日本に来日し、日本にとっては明治政府発足後、初の外国元首の来日となりました。

ここで国賓として明治天皇に謁見し、日本に5つの事項を要請します。

  1. カラカウア王の姪である、カイラウニ王女と東伏見宮依仁親王との縁組
  2. 日本とハワイの連邦化
  3. 日本、ハワイ間の海底ケーブル敷設
  4. 日本主導によるアジア連邦設立
  5. 日本からのハワイ渡航移民の促進

米英の白人移民によって、ハワイ王国の独立が揺るがされていた状況に、ハワイ王朝存続の危機を感じていたカラカウア王は、日本と手を組むことによって白人の力を弱め、最終的には日本と合併をしようとしました。

しかし、明治維新後間もない日本は国力が乏しく、そのような事を行なっている余裕が無いのに加え、何よりもハワイと手を組んだことによって、アメリカとの関係悪化が悪化することを恐れ、ハワイ王国からの提案の多くを断りました。

しかし、近代国家としての日本政府が発足してから初めて訪れた元首の提案を無下にするわけにもいかず、日本からのハワイ渡航移民の促進のみを承諾し、その後日本政府は国策としてハワイへの移民を促進していくことになります。

この政策で送り出された移民の中に、ダニエル・K・イノウエの両親がいたのですね。

その後、ハワイ王国は日系移民を多く受け入れて、欧米系移民の台頭を抑えようとしましたが、日増しに経済的、政治的に力を増す欧米系移民の力の前には焼け石に水状態で、遂に1893年、欧米系移民達によるクーデターが発生。「アメリカ人の保護」を名目にアメリカ海兵隊もホノルルに上陸し、ハワイ王国の政府庁舎は占拠されされ、欧米系移民によるクーデターによって親米政権が樹立、1895年にワイキキで先住ハワイ人達が虐殺され、カラカウア王の跡を継いでいたリリウオカラニ女王は捕らえられて幽閉され、1898年にアメリカによってハワイは併合されてハワイ王国は完全に消滅しました。

アメリカによるハワイ併合が成った時、ハワイの政府庁舎からハワイの旗が降ろされ、アメリカ国歌が演奏される中、島中のハワイ先住民が大声で泣いたとされています。

皆さんがハワイに滞在中、必ず耳にするであろうハワイの名曲「アロハ・オエ」は、幽閉中のリリウオカラニ女王が滅びゆく祖国の悲壮を重ね合わせ、国民への感謝と惜別の想いを込めて作った歌なのです。

ビーチやプールで「アロハ・オエ」が流れてきたら、風に揺れる椰子の葉の音と共に、失われたハワイの歴史に想いを馳せてみてはいかがでしょうか??

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