日本の怪談4 青森編〜八甲田山 死の行軍〜
皆さん、こんにちは!
JAMBO STAFFの伊藤です!
今日は青森県で有名な心霊スポット、八甲田山についてお話ししたいと思います。
八甲田山に彷徨う兵隊の亡霊
八甲田山は青森空港からタクシーで約30分と、かなり空港の近くにあります。
八甲田山は春夏秋冬、景色が美しいので、ハイキングや登山を楽しめたり、天然温泉までもある、青森県が誇る観光地です。
しかし、ここは観光地と並んで心霊スポットとしても有名です。
なんでも、夜中に「ザッザッザッ・・・」と兵隊が行進していく足音が聞こえるのだとか。。。
また、夏場に登山客が夜テントを中にいると、他には人はいないはずなのに、男たちの話し声やすすり泣く声が聞こえてきたりと、心霊体験談が絶えない場所です。
数年前には、テレビ番組が八甲田山で起きている心霊現象を映像に収めようとカメラを設置したところ、不審な人影が何体も写り込んだとして話題にもなりましたね。
ここ八甲田山には、かつて悲劇的な遭難事故があり、多くの人が命を落とした歴史があります。
八甲田山で何が起きたか
何故八甲田山が心霊スポットとして有名になったかというと、1902年1月に起きた「八甲田山雪中行軍遭難事件」と呼ばれる、世界最大級の山岳遭難事故が起きたからです。
八甲田山雪中行軍遭難事件とは、1894年に発生した日清戦争で冬季寒冷地での戦闘で苦戦した経験を踏まえ、日清戦争後の仮想敵国である、ロシアとの戦いを備えるために日本陸軍が行った、冬季雪中行軍の最中に行軍中の部隊全員(210名)が雪山で遭難してしまい、ほぼ全員が死亡した歴史上稀にみる、最悪の遭難事故です。
何故、このような悲惨な事故が起きてしまったのか。
それは、「情報不足・認識不足」以外に他なりません。
まず、遭難した部隊の所属組織である、帝国陸軍青森歩兵第5連隊の首脳陣は、雪中行軍の経験がほとんど無く、将兵が雪中行軍を行う際の装備は単なる厚着・重ね着と、とても冬山装備に適しているものではありませんでした。
また、当日の行軍の指揮官であった神成大尉は雪国出身でなく、陸軍入隊後も雪中行軍の経験は無く、更に、当時は本来ならば、行軍訓練を行う際には、その指揮官は事前に現地の地理や気象状況、その他訓練当日に必要な事項を自身で調べておく事が義務ずけられているのですが、事件前には神成大尉夫人の出産立ち会いのため、長期の休暇を軍よりもらっており、全く事前準備ができていない状況でした。
加えて、雪中行軍参加者の半分以上が、岩手県や宮城県など東北の農家出身者で平野部での雪中行軍の知識はありましたが、山岳部出身者はおらず、厳冬期の山岳についての知識がある者がおらず、支給された防寒具が登山にしては薄着だったこともあり、参加者たちは総じてハイキング気分でおり、誰も異議を唱えませんでした。
また、行軍の目的地が温泉地である田代元湯の宿ということも、部隊全体の雪中行軍の楽観視を招いた一因でしょう。
これら準備不足・認識不足でハイキング気分で八甲田山にて雪中行軍を行った結果、出発時は快晴だった空も山中に入ると急変し、視界がほぼゼロで気温はマイナス20℃以下という地獄のような状況になり、部隊の人間は次々と凍死していきました。
最終的に生き残った数名も、手足が凍傷により壊死し、四肢切断を余儀なくされ、悲惨な運命を遂げました。
この、八甲田山での出来事は、「決して自然をナメてはいけない」ということと、「大勢の命を預かる立場にある者は、正しい情報を得て、正しい判断をしなければならない」という教訓を現代の私たちに教えてくれています。
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