ステイ先で学ぶ政歴シリーズ 海外編6〜ベルギー 恐怖の”私経営”植民地〜第1章

皆さん、ボンジュール(フランス語)、フーテ モールヘン(オランダ語)

JAMBO STAFFの伊藤です!

私は今、ベルギーのブリュッセルのカフェが大好きです。

今回どうしてベルギー語で挨拶ではなく、フランス語とオランダ語で挨拶をしたかというと、ベルギーには独自の言語が存在せず、公用語が二つあり、北部はオランダ語、南部ではフランス語が主に話されています。

さて、ベルギーはインフラがよく整っているので、ブリュッセル空港からブリュッセル中心部まで出るのは、鉄道やバスを利用すれば、30分ほどで出ることができます。

やっぱり、美しい街にあるカフェで過ごす時間は最高ですね!

しかし、美しいものには必ず影がある・・・

今回は、あまり知られていない、ベルギーの黒い歴史についてお話ししていきたいと思います。

ベルギー(王様)はかつて植民地を保有していた

ベルギーは小さい国で、第一次、第二次世界大戦で周りの大国に一方的に蹂躙されていたイメージが多いですが、実は他のヨーロッパの強国同様にベルギーもアフリカ中央部(現在のコンゴ)に植民地を持っていました。

ベルギーが植民地を保有していた、と言いましたが、正しくは、ベルギー王であるレオポルド2世が長い間、私営で経営していたため、私有地とも言えますね。

コンゴはアフリカ中央にあり、19世紀当時アフリカに進出していたイギリス、フランス、ポルトガルといった国々はアフリカ沿岸部の確保だけで手一杯で、奥地のコンゴにはどこも手を出したくなく、空白地でした。

そこに目をつけたのは、ベルギー王 レオポルド2世。

レオポルド2世は、植民地さえ持てばイギリスやフランスと並べる大国になれると思い、著名な探検家ヘンリー・スタンリーと手を組み、コンゴ住民との貿易権や通行権を議会の承認なしに「勝手に」獲得。

イギリスとフランスはベルギーのこの動きに反発しますが、正直、誰もコンゴを欲しいと思っていなかったために消極的な抗議に留まり、1884年に開催されたベルリン会議でドイツにベルギーのコンゴ領有を認められると国際的にもベルギーの土地であると認められます。

そこで困ったのはベルギー議会。

しかし、国民も、その代表である議会も植民地獲得には関心が薄く、コンゴ領有に到るまで、王のレオポルド二世が独自で動き、それを国際社会が認知するという、国家としては全く関与していなかったため、扱いに非常に扱いに困りました。

欲しくもない植民地、インフラは皆無でとても経営しずらいコンゴを国家として運営したくなく、議会の承認も通る見込みが無いので、ベルギー議会はレオポルド2世に、「コンゴを統治してもいいが、国家としては一切手出し・手助けしないので、国王が実費で経営してください。」と告げ、国王もそれを承認しました。

ここに、国際的にはコンゴはベルギーの植民地だが、運用・権利は全て国王に委ねている、事実上の私有地という歪な状況が完成しました。

こうして、「私有地」コンゴの国家運営がスタートしていくことになります。

この個人による植民地の私経営がどのような結果をもたらしたのか。

続きは、第二章で・・・

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