ステイ先で学ぶ政歴シリーズ 海外編1〜スリランカ〜第1章

アーユーボーワン!(スリランカの言葉でこんにちは)

JAMBO STAFFの伊藤です!

成田空港からJALのコードシェア便、スリランカ航空の飛行機に乗ること約10時間。

スパイシーな機内食に舌鼓を打ち、スリランカのビール、ライオンビールをのんびり飲んでいる内に、コロンボの「バンダラナイケ国際空港」に到着しました。

スリランカは一年中30°を超える国。飛行機から降り、下に待機しているランプバスに向かう3分足らず外に出ただけで、汗がジワっと・・・。常夏の国だということを再認識させられます。

バンダラナイケ国際空港と日本

ところで、皆さんは、スリランカのバンダラナイケ国際空港と日本の深い関係を知っていますか?

スリランカ唯一の国際空港であるバンダラナイケ国際空港は元々、イギリス植民地時代にイギリス空軍によって使われていた空軍基地が基となり、拡張される形で建設された空港で、今現在も拡張工事は継続中です。

実はこの拡張工事の費用ですが、日本が大量にODAを援助し、拡張工事に一役買っているのです。

更に建設支援として、外務省主導で、建設・土木のプロフェッショナル達を直接現地に送り込んで作業の支援を行うという手厚さ。

他にも日本の支援はスリランカ全土に

日本のODAをはじめとした支援は、空港だけに止まりません。

インフラ整備、貧困支援、教育支援、職業訓練に医療施設の建設と医療支援。その他、多くの支援事業を日本はスリランカに対して行っています。

特筆すべき日本の支援は、1983年〜2009年までシンハラ人(スリランカの仏教を信仰する多数派民族)とタミル人(スリランカ北部に滞在するヒンドゥー教の民族)との間で行われていたスリランカ内戦の仲介でしょう。

スリランカ内戦では、30年弱に渡り、スリランカのほぼ全土で凄惨な戦闘が繰り広げられました。

スリランカ政府軍がいくらタミル人勢力の人間を殺しても、殺された人間の子供が憎しみを胸にその後を継ぎ、戦闘に参加していくという、終わりの見えない紛争でした。

そのような中、日本は調停員を送り、戦火の中、シンハラ人とタミル人間に立ち、仲介工作を行い続けました。

2003年には箱根で和平交渉を行い、同年6月には「スリランカ復興開発に関する会議」を東京で開催し、スリランカ内戦の終戦に大きな役割を果たしました。

その後、不幸な出来事が重なり、停戦合意が破棄され、再び戦闘が勃発してしまい、最終的に残念ながら政府軍側がタミル人勢力支配エリアに侵攻、占領をしてしまう形で内戦が集結することとなってしまいましたが、内戦中に日本がスリランカの為に行った数々の行動はスリランカ内外から評価され、内戦終結後の戦後処理にもアドバイザーとして多くの日本人が参加し、スリランカの戦後の安定化に務めました。

また、戦後処理だけではなく、戦闘によって破壊されたインフラの修繕や戦争難民の支援、内戦中に大量に埋設された地雷の撤去作業など、多岐に渡って手厚くスリランカを支援し、そしてそれは今も続いています。

ここまで記事を読んだ方々の中には、「日本が凄く手厚くスリランカを支援していることは分かったけど、日本はなんでそんなに親スリランカなの?」と思われた人もいらっしゃると思います。

それには、ちゃんと理由があり、「日本人なら必ず知っておかなければいけない」歴史があります。

第2章へ続く・・・

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